2009年10月23日

月刊「日本」11月号
 月刊「日本」11月号に、インタビュー記事が掲載されました。


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独立不羈の精神を回復せよ!


独立不羈の精神を失った日本

── 日本の保守衰退の原因をどう考えているか。
古川 総選挙での自民党の大敗、直後の総裁選の体たらくを目の当たりにして、焼け野原のような保守の惨状に茫然とした。百数十年前をふりかえれば、明治の先人は西洋列強の植民地化圧力に対抗する悲壮なまでの精神を持っていたし、五、六十年前の先人は「吉田ドクトリン」にみられるように、いずれの日にか必ず独立を回復するという気概に燃えていた。
 二十年前、ベルリンの壁が崩壊し、米ソ冷戦構造が終結したときこそ、我が国は米国一辺倒から徐々に脱却し、真の独立に向けて動き出すべきではなかっただろうか。だが、我々は日米安保に安住することに狎れ、独立不羈の精神を失ってしまっていた。グローバルスタンダードという二十一世紀型の「黒船」を無節操・無批判に受け入れる有様だった。気概を失い、保守の原点を忘れてしまったまま、惰性のように自民党政治が続いてきたのだが、二十年の時間差を経ていまようやく巨艦が沈んだということなのではないか。昭和二十年八月をピークに、我が国の独立不羈の保守精神はゆるやかに沈みはじめ、そして今回の総選挙と総裁選挙それに続く役員人事のあたりで、ついに深海の底に達したのだ。私にはその「ゴツン」という音が聞こえた。 国際社会では、アメリカの覇権による一極支配の時代が終わろうとしている。百年前のような群雄割拠の世界情勢に戻りつつあるのだ。たとえアメリカが沈むときが来ようとも、ただ引きずられて沈むだけの日本であってはならない。しぶとく、しなやかでなければ国際社会の荒波を泳ぐことはできない。重要なのは独立不羈の精神だ。自分の足で立つことだ。そのことを我々は忘れてしまっていたのだ。


小泉政権は急進左翼政権だった

── 国民もアメリカ依存では飯が食えなくなったと気づいている。しかも、グローバリズムが進む中でアメリカに富が収奪されている現実にも目覚めた。新自由主義の浸透とそれによる地方の疲弊、共同体の崩壊についてどう感じているか。

古川 私の問題意識の第一は、まさにその点にある。ふるさとを守るということは、まさに国を守るということだ。
 聖徳太子の「和をもって尊しとなせ」の言葉どおり、日本人は協調・調和を重んずる。「おかげ様」「お互い様」という助け合い精神の国、調和原理の国なのだ。競争原理の新自由主義はそもそも我が国の精神風土にはなじまない。また、我々日本人は西洋人のように「自然を征服する」なんて不遜な考えは持ち合わせていない。自分たちも大自然の一部にすぎないことを心得ているからだ。このような自然観・宇宙観に裏うちされた調和原理こそが日本文明の核心だと私は信じている。
 保守とは、その国の美風・良いところを守り、次世代につなぐことだ。自民党が保守政党だというのならば、助け合いの共同体やふるさとを守ろうとするものでなくてはならない。自分さえよければいいという考えではなく、都会も田舎もいっしょに良くなっていこう、高齢者世代も若者世代もお互いに支え合おうという日本的価値観、美徳を守っていかなければならないのだ。ところが、小泉構造改革は、「お陰様」「お互い様」の美風を蹴散らし、「勝ち組」「負け組」の世の中にしてしまった。これは単なる日本の打ち壊しにすぎず、したがって、小泉政権は保守政権ではなく急進左翼政権だったと言える。小泉構造改革路線は、日本人に合わない処方箋を書き、日本国に合わない手術をしたようなものであり、結果が良くなるどころか悪くなってしまったのは当然の帰結だ。自民党沈没の最後の一押しをしたのも、小泉・竹中政治だったということだ。
 小泉・竹中的なるもの、すなわち新自由主義イデオロギーは、世界においても壁にぶち当たっている。昨年アメリカに端を発した世界的金融危機がそれだ。市場原理至上主義は、人々を幸福にしないどころか、額に汗し地に足をつけてまじめに生きる人々までも喰いものにすることが明らかになった。投機マネーによって穀物が高騰し、メキシコでもフィリピンでもエジプトでも貧しい人々が路頭に迷った。新自由主義イデオロギーが跋扈する姿は実にあさましく、人間社会の不正義だ。人類は、この行き過ぎた金融資本主義の首に鈴をつけることができるだろうか。それとも、やはり性懲りもなく戦争で帳尻を合わせようとするのか。いま、まさに人類の叡智が問われる場面だ。私は、ここにも日本文明の出番があると言っている。日本人自身のためはもとより、人類社会のためにも、日本の保守精神を再興しなければならない。

── 民主党政権をどう思うか。
古川 ひたむきに生きる親の背中を見ながら子は育つ。努力して真面目に生きることの尊さ、すなわち「自助」の精神が社会の根底を支える。その上に、自治会や消防団のように、自分たちのふるさとを自分たちみんなで守ろうという「共助」がある。国民皆保険制度も「共助」の一つの形だと言える。そして「自助」「共助」を補うものとして、はじめて公的機関による「公助」に期待する。この「自助」「共助」「公助」の三階建ての組み合わせが背骨となって社会が成り立ち、日本の強さや優しさの源になっているのではないだろうか。民主党の政策をみると、いきなり「公助」が出てくる。自ら努力することの尊さ、それによって成り立つ世の中というものへの洞察が欠けているように思う。かつてのイギリスのように「真面目に働く奴はバカだ」という風潮になれば、人心は荒廃し、日本の強さ・優しさも失われるだろう。
 保守政党たる自民党は、そもそも、特定の主義やイデオロギーの旗を掲げて出来上がった政党ではない。むしろ、みんなで話し合って物事を決めていくまちの自治会、むらの神社の氏子総代会、消防団や商店会の集合体のような存在と言ったほうが近い。各界各層の声を吸い上げるパイプを持っていたからこそ、かつての自民党は、ふるさと、現場を大事にし、弱い立場の声を政策に反映させることができた。階級政党の民主党が、労働組合だけでなく、広く国民の声を吸い上げることが出来るだろうか。


私は一人でも保守の旗を立て直す

── 六月十六日の代議士会で、大政奉還という言葉を使った。
古川 日本郵政の西川社長人事をめぐって鳩山邦夫総務相が更迭されたのが十二日。麻生首相はよりによって最悪の選択をし、自民党は、小泉路線と決別するチャンスを自ら潰してしまった。とうとう自民党政権の背骨が折れたと感じた。誰かが言わなければならない、そんなやむにやまれぬ想いからの代議士会での発言だ。
 「今般の鳩山政変をもって、我が党は決定的に国民の信を失った。」したがって「我々は、この際、大政奉還を決断して国民の懐深く還るべきだ。国民の痛みと悲しみを我がものとして、もう一度、保守政党としての原点に戻るべきであります。」そして「それこそが本当の意味で、党が再生し復興するための道筋だと信じる」とし、上っ面の人気取りなどの「小手先の策を弄することなく、横綱としての矜持をもって」「歴史に恥じぬ判断を」麻生総裁に求めたのだ。魂をこめた発言だった。
 政権とは、主権者たる国民からお預かりしたものだ。汲々として私的に保つものでもなく、投げ出すものでもない。政党から政党に譲り渡すものでもない。政治は国家国民のためにあるという原点を忘れた政党政治は危うく、国民はすでに敏感に気づいている。原点に立ち返れという想いで「大政奉還」という言葉を使ったのだ。
 結局、総選挙で自民党は大敗を喫したのだが、それ自体は問題の本質ではないと思っていた。焦土から新たな芽が息吹くことを期待したからだ。しかし、総裁選挙とその後の党役員人事を見て、心底失望した。「ゴツン」という声ならぬ声が聞こえたのはこの時だ。
 しかし、「陰極まれば陽に至る」という。見渡す限りの焼け野原にたたずみながら、いまこそ行動を開始するときだということに思いが至った。あらためて保守の旗を打ち立てようと決意したのだ。人数が問題ではない。むしろ、一人でもやるという気概が大事なのだ。我々がめざすのは、党再生だとか政権奪還などという次元のことではない。我が国に真の保守政治を取り戻すこと、それこそが目標だ。百年前の先人にも、百年後の子孫にも恥じない保守精神の旗を掲げるのだ。自分の足で立つという独立不羈の精神に満ちた旗でなければならない。我が国の歴史に沿い、我が国の文明観に根ざした保守精神の旗を立てよう。そうすれば、その苗木はいずれ根を張り、幹は太り、枝を張って、葉を茂らせるだろう。

ふるさとの活性化がエネルギー・食料自給を支える

── 具体的にはどのように保守を立て直すのか。
古川 保守の再定義、すなわち、我々が保守すべきものとは何なのかということを、いま一度確認する必要がある。そしてその上で、行動目標とすべき課題が少なくとも三つある。@憲法改正、Aエネルギーの自給、B食料の自給である。これらの三点は、日本が独立不羈の精神をもって、しなやかに、そして、したたかに国際社会の荒波を生き延びるための必要条件だ。

── 食料の自給は実現できるか。
古川 北半球で農業生産に耐えうるだけの水資源を持っている国は、スイスと日本とカナダだけだと言う。スイスならアルプス、カナダならカナディアンロッキー、日本の場合は国土の七割を占める山が天然の水がめとなって水を供給してくれる。私の郷土には、五月に「山の神様」が「田の神様」となり九月にはまた「山の神様」に戻るという言い伝えがある。つまり神様とは水のことで、水の源は山だという教えだ。また、日本列島には四十万キロ、実に地球十周分もの農業用排水路網が、毛細血管のごとく張り巡らされている。まさに驚嘆すべき、瑞穂の国だ。
 今世紀半ばには、世界の人口は一・五倍の九十億人に膨れあがる一方で、食料生産量は逆に四分の三に減るという。増産しようとて水がない。そんな世界情勢のなかで、我が国は世界有数の食料国として近隣諸国に恩恵を与えるほどの潜在力を持っている。
 したがって今、最も重要なことは、石に噛り付いてでも、我が国の食糧生産力、すなわち水、農地、技術を守っておくことだ。食料の国際需給関係は目に見えて厳しいものになり、国際相場は格段に違ってくるはずだ。それが十年後なのか十五年後なのかは断定できないが、いずれにしても、そう遠くないその時まで生産基盤を死守することが大事だ。
民主党が指向するようにWTOやFTAで農産物を自由化してしまえば、食料時代の到来を目前にしながら、我が国は食料生産基盤を失い、後世の人々に顔向けできぬことになる。いい例がメキシコだ。メキシコの人々の主食はトウモロコシだが、北米自由貿易協定をきっかけに輸入トウモロコシ一色となり、国内の生産基盤は崩壊した。昨年の穀物高騰は貧しい人々の生活を直撃し、何十万という人々がデモに訴えたことは記憶に新しい。歪みは、いつも弱い人々のところに集中して表れる。食料の自由貿易は、穀物メジャーの利益にしかならない。それは、形を変えた帝国主義だ。

── 民主党の農業政策をどう評価するか。
古川 民主党の農業政策は、ソ連時代のソフホーズ(国営農場)、コルホーズ(集団農場)や中国の合作社を連想させる。努力をしようがしまいが手取りは同じということになれば、食料生産は落ち込むだろう。社会主義的な再分配にだけ力点を置くことが、どのような結果をもたらすかは明らかだ。

── 日本のとるべき食料戦略とは。
 瑞穂の国は、コメ基軸の食料戦略を立てるべきだ。我が国の国柄や文化にとって水田が特別な意味を持っているということもあるが、海外に向けてコメが重要な戦略物資となりうることに着目するのだ。具体的には、日本列島での米の生産力を拡大し、同時に東アジア、東南アジアのコメ食文化圏に一つのマーケットを育成するという戦略を提言したい。稲の源原種や水資源など我が国の優位性は突出している。穀物商社「日の丸メジャー」をこしらえて、アジアのコメ圏を維持する役割を自ら担うのだ。国内の生産調整を廃止したとしても、日の丸メジャーが米価を支持すれば国内農家を守ることができる。昨年、フィリピンでコメ不足とコメ価格高騰で社会不安が生じた際は、我が国は米放出によって米価を下げる形で彼の国の人々を支援した。アメリカの穀物メジャーによる食料帝国主義とは一線を画する、我が国らしい食料戦略を描くことは不可能ではない。

我が国は文明のパラダイム・シフトをリードせよ

── エネルギーの自給についてはどうか。
古川 いま、価値観のパラダイム・シフトが起こっている。地球環境問題が、国益というより人類益という視点をもって取り組まねばならないほど重要になってきているからだ。大量生産・大量消費に象徴されるような、効率性・画一性を重視する現代文明的な価値観は、否応なく修正を余議なくされる。そして、そこにエネルギー自給の可能性が見えてくる。
 まず、脱化石燃料の流れが今後も加速すること。これが大きい。我が国も、原子力三分の一、化石燃料三分の一、再生可能エネルギー三分の一くらいを当面の国家目標にすることになるだろう。その際、太陽光、水力、風力、地熱、木質バイオマスなどの再生可能エネルギーの割合を増やすため、国土の様々な資源を最大限に有効活用しなければならないが、これは現実的に可能だと考えている。
 それから、人々のライフスタイルや仕事、まちづくりのあり方も変わる。省エネ型の生活や企業活動はもとより、都市構造までもガラリと変わるかもしれない。エネルギーロスを最小化する社会に転換することは、エネルギー自給をめざす上で大事なポイントだ。この点、「もったいない」精神の日本人の得意分野ではないか。もともと自然の恵みを丁寧に利用して生きてきた日本民族だ。日本人の自然観がものを言うような気がする。
 そして、もちろん、日本の優れた技術力にも期待する。たとえば、濾過など水処理技術で日本は世界最高水準だ。それは単に技術力が優れていると言うより、古くより豊富な水に恵まれた国土で、清潔を尊ぶ日本の美意識が醸成されていたことが大きいのではないか。要するに、我が国の技術力は、自然観や文明観といった底力によって支えられているのだ。文明力をフルに発揮できるのがエネルギー分野だ。ここでも、まさに日本文明の出番が来ている。

── ふるさとの再生は。

古川 我が国の食料自給力とエネルギー自給力は、国土を丁寧に有効活用することで身につけることできる。そして、食料戦略や新エネルギー開発が、新規産業と雇用を創出する起爆剤になることを考えると、本格的な「ふるさと再生」も決して夢ではない。
 効率性・画一性を最優先にした価値観は、いま変更されつつある。これまでお荷物扱いされがちだった地方や農林水産業だが、ここにもう一度に光を当てるのだ。地方や農林水産業の持つ潜在力に、我が国の高度な技術力を融合させれば、文明のパラダイム・シフトを我が国がリードできる。日本は、この文明史的使命を自ら任じ、かつ全うすべきだ。そして、その大事業の舞台となるのは、此処、私たちの「ふるさと」なのである。