下宿屋の思い出

「一週間以内に下宿をさがして退寮するように…!」
退寮処分を言い渡されたのは中学三年の11月だった。中高一貫校の中学寮で大部屋生活をしていた私にとって突然の、そしてショッキングな宣告であった。下宿をさがせと言われても、そもそも下宿屋さんは受験を控えた高校三年のお兄さんたちが入るもので、当然ながら大学受験シーズンになるまで先輩たちで部屋はたいがい埋まっているから、中途半端な時期に突然出ていけと言われてもそうそう空き部屋などあるわけがない。ひとりトボトボさがして歩くものの、なかなか部屋は見つからない。刻一刻と一週間の期限が迫る。もうどこでもいいやという気になってとある下宿屋の玄関に立った。「物置でもいいですし、この廊下でも構いません…。置いて頂けませんかっ!?」すると、七十歳くらいと思われる下宿屋のオバチャンが「ああ、物置なら空いてますヨ」と真顔で即答!オバチャンの気が変わらないうちにと、その日のうちに引っ越した古川少年。山ほど荷物の積んである正真正銘の物置部屋に、蒲団一枚分のスペースだけを確保して私の下宿生活は始まったのである。退寮処分をくらった少年を理由も聴かずに住まわせてくれたオバチャン。肝っ玉オバチャンだったんだなあと今更ながらに思う。
寮を追われた悔しさと、ひとりぼっちの心細さ。打ちのめされた気分で下宿生活が始まった。深夜、独り寂しくラジオを聴いていると、たしかオールナイトニッポンだったと思うが何故かビートルズのナンバーばかり流れている。あれっ?吉田拓郎の日のはずなのに…?と思いながら聴いていると、何とジョン・レノンがニューヨークで撃たれてその追悼番組だったのだ。そう。あの時。あのとき私は中学三年生で、下宿屋の物置で独り寂しく深夜放送を聴いていたのである。ビートルズは大好きだったから衝撃も大きかったが、なんだか物置部屋に身を隠す落武者気分と重なって、何とも言えぬ哀しい想い出の一情景となっている。