翁の遺言

目黒で焼鳥屋をやっていた頃のことだ。いつものように忙しく店を切り盛りしていると、老紳士がフラリとあらわれ私の前のカウンター席に座った。そのお客はなんと私が学生時代にいろいろご指導を頂いた、ニッポンレンタカー創始者の石川浩三翁(故人)であった。石川先生は学徒出陣で大陸に出征した経験などから、晩年はアジアからの留学生と日本の青年の交流事業に心血を注いでこられた方である。石川翁は熱燗を一本だけ注文すると私に語り始めた。「いいですか古川君、男は三十になるまでは何をやっていても構わない。世界放浪の旅だろうが何だろうが好きなことをやっていいんです。しかしね、三十になったら、人生の目標はこれだと定めて一歩ずつでいいから目標に向かって人生を歩みなさい。君は政治家になるんでしょう?」じっと私の眼をみながら翁は続ける。「それからもう一つ。いずれ日本は東南アジアの権益をめぐって必ず中国とぶつかります。中国は底知れぬ国です。日本がヒステリックになって、頭に血が上ってやり合うようなことになれば、そのときこそ亡国。日本は滅びますよ。これは私の遺言だと思って必ずおぼえておいてください。」そう言って石川翁はお帰りになり、翌々月だったろうか、肺癌で亡くなられたとの報せを聞いた。
それから数年後、私は三十歳になったのを機に郷里に帰って国政をめざすことになる。初当選までに八年かかり、更に十余年を経て、石川翁の遺言からすでに二十年以上が過ぎた。そして今、私は先生の遺言をしばしば思い出すようになっている。私の瞼には先生のお声や表情までもがはっきりと浮かんでくるのである。