賢人が残したもの

「あの人なら、こんなときに何と言うだろう…」。誰の心の中にも、そんな特別な人が一人くらいはいるのではないだろうか。
父ほど年齢のちがう小寺暢さん(故人)は落選時代の私によくアドバイスを下さった。まだまだ若く青かった私は小寺さんに随分と導いて頂いたものだ。人間や世の中をよく知る小寺さんの言葉は、いつも唸るほど的確で隙がない。今でも、何かの拍子に思い出しては噛みしめている。小寺さんのお話が聴けるのはいつも楽しみだったが、すべてを見透かされているようで恐ろしくもあった。智的でダンディ。冷徹に現実を洞察しながらも高い理想を掲げて行動する、まさに勇気と品格のある方だった。なぜか煙草はチェリーと決まっていて、たまに戴いて一服すると煙がチリチリ肺に刺さる。「ワタシの下腹にはこれくらいの癌の塊があるんですよ…」呵々と笑いながら悠然とチェリーを吸うお姿が忘れられない。
八年がかりで初当選を果たしたのも束の間、わたしは郵政民営化法案に反対して自民党を追われた。気丈を装ってはいたが苦しい時期だった。そんな時ふと「小寺さんなら何と言うのだろう…」と思い立った。お宅にお邪魔して、仏壇の前に座り、お供えのチェリーを一本拝領する。肺にチリチリと痛みを感じながら静かに座るうちに、迷いや弱い心が削ぎ落とされていくようだった…。
その後もわたしは、さまざまな事柄にぶつかったとき「小寺さんならどうだろう…」と考える。『虎は死して皮を留め、人は死して名を残す』と言うが、賢人はわたしに言葉と知恵を残してくれた。