わたしのタカクラケン



落選時代の話である。みかん農家の島田良一さん(故人)は地域のリーダー格だった。地盤・看板・鞄のひとつも持たずに政治活動をスタートした私としては、何とか有力者のお力を借りたくて島田さんのお宅を何度かお訪ねするのだが、なかなかお会いできない。奥さんに取り次いでもらっても、障子越しに「帰ってもらえ」と聞こえてくる…。それでもあきらめるものかと、今度は選果場にまで押しかけた夕方のことだった。ちょうど出荷時期で、ご夫婦は忙しく黙々と作業をしておられる。私は声をかけられぬまま選果場の外でただひたすらに待つ。冬の夕暮れは早く、あたりは急に暗くなり一段と冷え込んできた。(あのときの冷気の匂いを私はいまでも思い出せそうな気がする…。)しばらくして、どうやら作業が終わったようである。島田さんは選果場からヌッと姿を見せるなり「あんた、茶でも飲むか」と一言。すかさず「ハイッ!!」と返事するのが精一杯の私。お宅に上げて頂いて、さあ何と言って自己紹介しようかなんて構えていると、奥さんがニコニコしながらビールを運んで下さるではないか。島田さんはグイッとひと口つけるなり、やおら電話機を手に取って、「今、“高倉健”が来ちょっとよ。」と、かたっぱしから電話し始める。30分もしないうちに居間には地域の皆さんが十何人も集まって賑やかに焼酎呑みが始まった。あれよあれよという間の、まるでドラマでも観ているかのような展開にビックリするやら感激するやら。
以来、島田さんは有力な支援者として本当に力になって下さった。性格のハッキリした方で一度納得したらとことんやるというご気性だった。背が高くてにがみ走った感じの精悍な魅力があり、だから島田さんと高倉健のイメージがダブった。あの晩、島田さんは古川青年をタカクラケンと呼んでくれたけれど私の眼には島田さんこそがタカクラケンに映っていたのだ。
ご家族の皆様にもずいぶんお世話になった。地域のお祭りで酔っ払ってそのままお宅に泊めて頂いて、そのうえ翌朝は当たり前の顔で朝御飯までご馳走になり、そこから一日の活動に出かける、なんてこともあった。
私にダッチオーブン料理の楽しみを教えてくれたのも島田さんだった。野外でローストチキンを作り、ピザを焼く。パエリヤもできるしパンも焼ける。地域のみんなでワイワイ言いながら楽しむお姿を、私はずっと忘れないだろう。カッコイイ人だった。